1.道端の花 その2
そもそも道端で目に付くということは数がたくさんあるということだ。車や自転車で通り過ぎて、花があってもおやっと思う間に通り過ぎ忘れてしまう。ところが広く繁殖してどこまで行ってもこれがあるとなると気になってしまう。
全国にあるらしいが、とくに気になったのは北海道。気候と降水量がぴったしだったのか。行く道、帰る道、坂の道、駐車場、どこに行っても道端に白い花があった。
花は小花の集合体で繊細そうだが、そこかしこに高さ50cm~1.5mにもなって群生している.
受粉した後の種を守る形は丸くふわふわの塊になる。果実の成熟に伴い鳥の巣のようになる。そのためバーズネスト(鳥の巣)と英語圏では言われる。
植物アプリでかざしてみるとノラニンジンと出てきた。
海外から帰化した植物で、ニンジンの栽培品が野生化したものとされる。
人間がせっせと大きくおいしく柔らかく育てた野菜の中には野生の環境に入り込んでそこで強く硬く不味く育って繁殖するものがあるという。
そうした植物で人参と同じような花なのだが、根はニンジンのように太く柔らかくおいしくはならない。ここが肝心でおいしく育っていたら、人間が食べつくし、畑に連れ戻してしまう。そうならずに放置されるほど不味いから空き地や道路端で繁殖したのだろう。原産地はヨーロッパといわれ、アメリカ全土も含めて各地で見られ、その広範囲への侵略的植生となっている。
基本は真っ白な花弁で小さな花の中心にクリームのところがある。
中には白に囲まれたピンクもあり、とても美しかった。
目を凝らすとどのノラニンジンにも中央部分にやや黒く見えるところがある。↑のも中心部に小さな紫の花が一輪だけ咲いていた。
もちろん白い花にもある。よく見ないとたくさんの花に隠れているが花房の中心にぽつっと黒っぽく見える。なぜ一輪(稀に複数の場合もあった)だけが、このように色の異なる花として中心に咲くのかはまだ解明されていないという。
2.ノラニンジンの命名
最初このきれいな白い花にノラニンジンはないだろうと思った。
ところが調べるほどに確かにニンジン種であるし、ノラという日本人にはわかりやすい言い方で野生化したことを表現しているのだとわかってきた。命名は近代植物分類学の権威、牧野富太郎博士だった。94歳で亡くなるまで日本全国を回って植物標本を作製、命名した植物は1500種類という。その中の一つにノラニンジンがあるのだった。
積み重ねた植物への研究心と植物愛を持つ人が、この植物のルーツと特性を一言で見事に表したのだとわかった。
2.「クィーンアンのレース」
ノラニンジンは牧野博士がつけた和名であるが、別名を探ってみよう。
①ラテン名はDaucus carota(ダウカスカロタ)
②英語名はwild carrot (ワイルドキャロット)・・・牧野博士のノラニンジンと同じ直球の命名だった。
③さらに英語名、Queen Anne's lace(クィーンアンのレース)という、この花の見た目に合う名がついていた。
ここでいうイギリスのアン女王とは、ジェームス2世の娘で、1702~1707に女王としてスペイン継承戦争やスコットランドをイングランドに統合することにかかわり国を繫栄させた女王のことである。女王がレース編みにたけていたといわれ、そのレースの襟のようだとする説や、女王がレースを編んでいるときに指をさし、レースに一滴の血が落ち、花の中央に紫の一輪が咲くようになったという逸話的なものなど、たくさんの説がある。
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◆ここから先は知ってしまった事実
・・・花を調べていて、イギリス女王の悲しみにふれてしまった。
アン女王はスチュアート朝最後の君主であった。なぜなら後継ぎがいなかったからである。17回の妊娠をして流産6・死産6、夭折2,天然痘2、11歳しょう紅熱1という。なんという苦しみ・悲しみを抱えた女王だったのか。
不幸な出産は抗リン脂質抗体症候群を患っていたからではないかといわれている(wikipediaより一部引用)。今だったら治療もできただろうに!
女王逝去ののち、又従兄がジョージ1世となってハノーヴァー朝を開いた。
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